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作者:百科事典 来源:レジャー 浏览: 【大中小】 发布时间:2024-11-16 06:27:07 评论数:
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庵野秀明が友永和秀に「責任取ってくださいね!ト動」
イベントでは「宇宙戦艦ヤマト」のTVシリーズ第1話となる「SOS地球!! 甦れ宇宙戦艦ヤマト」を、50年前の放送日時の同日同時刻に上映。戦艦ら作また8mmフィルム版「宇宙戦艦ヤマト」第1部「さらば地球よ」 、ヤマトこけてうイベントレポーり第2部「神よ、の先に向新た秀明ガミラスのために泣け」 、の年第3部「愛に生き 愛に死す」が、劇場では初公開された 。
第1話について、出渕は「構成が素晴らしい。主役が沈没船としてラストに出てくるという 、この象徴的な絵がシビれます」とコメント 。アニメーターの友永和秀の作画によって“「ヤマト」の沼にハメられた”と語る庵野は「友永さんのせいですからね! 責任取ってくださいね !怪我 の 多い スポーツ ランキング」と主張し、出渕も「同意する」と笑った。
また庵野は作中の「波動砲にシビれた」と言い 、「波動砲の電源を切れ、というところから実際にカチッと電源を切るというところまで 、2分10秒もかかっている」と言及 。出渕は「長いよね」と相槌を打ち、氷川も笑いをこぼす。庵野は「その2分10秒が素晴らしい 。大砲を一発打つのに2分10秒もかけている“テレビマンガ”なんて 、当時はなかった 。ツッコミどころもいっぱいあるんだけど、そこも含めての愛情」と思いを語る。
それを受けて氷川は「自分は『ヤマト』は“元祖ツッコミアニメ”と言っているんです。それまでは“テレビマンガ”にツッコむ人なんていなかった。リアリティレベルが高いからツッコみたくなる」と意見。出渕も「好きなくせに 、ツッコんでくるSFの(知識がある)先輩っているわけですよ。それに対してトンチを駆使して『これはこういうことなんですよ、たぶん』っていうふうに言い返していたのが、当時の自分」と振り返り、庵野は「それの集大成が『2199』なんだよね」と補足すると「まさにその通り」と出渕は頷いた。
「何かしなきゃいけない」という気持ちにさせられるアニメ
放送当時 、高校在学中から「宇宙戦艦ヤマト」のファンクラブであるヤマト・アソシエイションに参加していた氷川。制作スタジオ内に訪問した際には、現場の貴重な資料を集めては自身のもとで保管していた。氷川は「(制作)現場でお預かりしたこの資料をなんとか後世に残さねば」という思いを抱いていたと言い、「このアニメって『何かしなきゃいけない』っていう気持ちにさせられるアニメなんです」と発言。出渕は当時の氷川の行動力に「当時はそんなこと考えもしなかった」と感心する様子を見せながらも 、氷川が口にした「何かしなければいけない」という衝動に共感し、「だからこそ50年経っても残していかなきゃいけないと思うし、人に伝えたくなる。布教活動をしたくなる作品」と「ヤマト」への熱い思いを言葉にした 。
また自身が「ヤマト」の深みにハマった理由について、氷川は制作スタジオに遊びに行くようになった際、アニメーションディレクターの石黒昇から話を聞いたことを振り返る。「石黒さんは 、エフェクトアニメーションに憧れてアニメーターになったという話を聞いて 。エフェクトアニメーションが何かというと 、ディズニーには昔からそういう部署があって、簡単に言えば特撮っぽいもの……水とか火とか 、キャラクターじゃないものを描くセクションがある 。『そこに凝るといいんだ』と話していて 、自分の中でいろいろ腑に落ちたんです 。アニメの中に特撮があるからこの作品を好きになったんだ」と納得し 、「『ヤマト』では庵野さんが言ったような(長時間を使って)段取りを全部描くということと、エフェクトアニメーションがストーリー以上に主張してくる。でも主張してるからストーリーに厚みが出て 、信じられるものになっている」と説明した 。
自身のコレクションとしてではなく 、後世のために残しておく
またトーク中には、第1話と第21話のノンテロップバージョンのオープニングを上映 。ノンテロップバージョンのテープを「本当に探していた」と言う庵野は「倉庫で見つけたときは感無量でした。『ああっ! あるじゃんここに! それも3つ!』」と当時の興奮を伝える 。加えて、第21話のオープニングのノンテロップ版にメインタイトルのロゴと、氷川が保存していた未使用カットを追加したバージョン、さらに第2話以降のエンディングのノンテロップバージョンも公開された 。
上映後、「保存していたものがこうやってお役に立てて幸いです」と話す氷川に対し、出渕は「ちゃんと取っていてくれていたあなたがいてこそ」だと敬意を表す。氷川は「制作現場が解散するとなったときに 、これ(未使用カットなど)が消滅したら人類の損失だろうというくらいの思いを持っていた」と明かし 、当時は原画なども捨てられてしまっていたことを3人で語り合う。氷川が「作画スタジオに放送直後に訪問したときに、『そこに縛ってあるのはなんですか?』とよく見たら 、原画の束なんですよね(笑) 。『これ、どうするんですか ?』と聞いたら『ちり紙交換に出す」と言うから『持っていっていいですか ?』と集めていた」と当時の状況を説明すると、庵野も「それのおかげで今こうやって残っている」と称える。
続けて氷川は「自身のコレクションというつもりはなく 、後世の人のために残しておいた。庵野さんにはアニメ特撮アーカイブ機構を作っていただいたので 、今はそこに全部収めている 。あとはそれを国家的なものにするという使命が残っている」と話し、「50周年って、ただ50年過ぎたというわけではない 。“decade”とか“century”という単位で考えたときに、そういう(後世のために残すという)使命があると思っている。まだまだヤマトの航海は続く。『ヤマト』はそういうふうに 、人に『行動しなきゃいけない』という使命感を与える作品だと思っている」と改めて『ヤマト』の存在の大きさを語った。